パリ市内で、声楽•合唱団所属で特別時間割コースがあるのは、地方音楽院と国営フランスラジオ放送付属の児童合唱団の二つになります。
こちらは所謂CM1の小学4年生から、Terminaleの高校三年生までのコースで毎年年度末には進級試験があるので、その結果及び、ついていけない、態度が悪い、やる気が見られない、など色々あると、会議された結果、落第、退学があります。
他の学校も書類選考や実技などで、審査に通り、自分の行きたい中学に受け入れ枠さえあれば、その特別時間割コースに入学出来るのですが、学校での授業が終わった後は、自分自身で、スポーツならスポーツクラブに所属し、レッスンや練習をしないといけないようです。
さて、実際に受験となると、何をしたら良いのか、うちの娘がいくら歌が好きだと言っても、ハープのように実際に表立って評価されたことの一度もない歌で、受験なんて出来るものなのか、色々と準備や検討をしなければなりませんでした。
娘の第一志望はもちろん地方音楽院だったのですが、確実に入学できる保証はどこにもなく、念のため、フランスラジオ放送の方も受けておいて、初めての試験の経験のためにも、その世界を知っておいた方がいいと、ハープの先生からのアドバイスもあり、そこから、受験手続きなど、もうバタバタと目を見張るような忙しさになりました。。。
歌志望で受験する場合に一番注意しなければならないのは、その子の声が変わり過ぎていないこと、喋り方に問題がないかどうか、のまず二点でした。その二点を突破して、今度はどんな歌を試験で歌えばいいのか、と言うことでした。
これはハープの先生の御陰で、娘の声や歌い方を見て頂く機会を持てた事で、娘の声色にあった歌を選ぶことが出来ました。
まずは国営フランスラジオ放送の書類選考のために、9歳にして初めて、志望動機書と履歴書を書いた娘です。
晴れて、約500名の書類選考を突破し、一次試験の招集がかかりました。
それが今年の3月中旬の事でした。
始めは、5人の審査員の前での歌唱試験でした。
付き添いの親は控え室で待ち、選んだ歌を暗譜で最後まで、当日その場合わせのピアノ伴奏と共に歌ったようです。
第二次試験、ファイナルはその約1週間後でした。
運良く第一次試験に合格した娘は、確か47人のファイナリストの中のうちの一人として、今度は10人の審査員の前で、もう一度前回歌った歌を最後まで暗譜で歌い、ソルフェージュの試験も受けて来ました。
この時、親の面接もあり、主人は仕事で来られなかったので、一人本当に心細く、ドキドキしながら面接に行ったことを良く覚えています。
晴れて、最終合格通知を手にした時には、私のせいでダメにならなくて良かった!と本当にほっとしたのですが、その後の書類手続き等がかなりややこしい及び厳しく、結局、最終的に、音楽院一本にしぼり、フランスラジオ放送の方は辞退することになったので、娘のプレッシャーが増えてしまったのは、本当に可哀想な事をしました。
こちらは所謂CM1の小学4年生から、Terminaleの高校三年生までのコースで毎年年度末には進級試験があるので、その結果及び、ついていけない、態度が悪い、やる気が見られない、など色々あると、会議された結果、落第、退学があります。
他の学校も書類選考や実技などで、審査に通り、自分の行きたい中学に受け入れ枠さえあれば、その特別時間割コースに入学出来るのですが、学校での授業が終わった後は、自分自身で、スポーツならスポーツクラブに所属し、レッスンや練習をしないといけないようです。
さて、実際に受験となると、何をしたら良いのか、うちの娘がいくら歌が好きだと言っても、ハープのように実際に表立って評価されたことの一度もない歌で、受験なんて出来るものなのか、色々と準備や検討をしなければなりませんでした。
娘の第一志望はもちろん地方音楽院だったのですが、確実に入学できる保証はどこにもなく、念のため、フランスラジオ放送の方も受けておいて、初めての試験の経験のためにも、その世界を知っておいた方がいいと、ハープの先生からのアドバイスもあり、そこから、受験手続きなど、もうバタバタと目を見張るような忙しさになりました。。。
歌志望で受験する場合に一番注意しなければならないのは、その子の声が変わり過ぎていないこと、喋り方に問題がないかどうか、のまず二点でした。その二点を突破して、今度はどんな歌を試験で歌えばいいのか、と言うことでした。
これはハープの先生の御陰で、娘の声や歌い方を見て頂く機会を持てた事で、娘の声色にあった歌を選ぶことが出来ました。
まずは国営フランスラジオ放送の書類選考のために、9歳にして初めて、志望動機書と履歴書を書いた娘です。
晴れて、約500名の書類選考を突破し、一次試験の招集がかかりました。
それが今年の3月中旬の事でした。
始めは、5人の審査員の前での歌唱試験でした。
付き添いの親は控え室で待ち、選んだ歌を暗譜で最後まで、当日その場合わせのピアノ伴奏と共に歌ったようです。
第二次試験、ファイナルはその約1週間後でした。
運良く第一次試験に合格した娘は、確か47人のファイナリストの中のうちの一人として、今度は10人の審査員の前で、もう一度前回歌った歌を最後まで暗譜で歌い、ソルフェージュの試験も受けて来ました。
この時、親の面接もあり、主人は仕事で来られなかったので、一人本当に心細く、ドキドキしながら面接に行ったことを良く覚えています。
晴れて、最終合格通知を手にした時には、私のせいでダメにならなくて良かった!と本当にほっとしたのですが、その後の書類手続き等がかなりややこしい及び厳しく、結局、最終的に、音楽院一本にしぼり、フランスラジオ放送の方は辞退することになったので、娘のプレッシャーが増えてしまったのは、本当に可哀想な事をしました。
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