私の18年間のフランス生活の中で、内訳約2年間が語学留学生としての時期、その後結婚し、10年滞在許可証と呼ばれる就業可能なVISAが出て、晴れてフランスで働けることとなりました。
学生時代の就業は雇用があって契約書が交わせたとしても、労働局に労働許可申請をしなければならず、そして誰でも許可が下りるとも限らず、現在の学生は学生VISAを取っていれば、すぐに週20時間の就業が可能だと聞き、時代は変わったなあとしみじみ思っている所です。
さて、ご縁あってフランスに来たからには、色々な仕事をしてみたい!というのもあり、一度だけの派遣契約も含めれば10件以上もの日仏企業と様々な契約を交わすことが出来、現在に至っております。当時は仏語が話せれば雇用はあり、より良い環境を求めて仕事を変えて行く方も多くいらっしゃいました。雇用形態としては、大きく二つに別れ、CDD(期限付き契約)CDI(期限なし契約)があり、そこでフルタイムなのか、パートタイムなのかもはっきりと契約書に記入されます。
(参考までに。左側がCDDの契約書で、右側が期限なしCDIの労働契約書の例)
業種によって、Convention collectiveという労働基準法があり、それに基づいて契約書が作られ、労働者と契約が交わされます。
働き始めた当時は、まだ週39時間労働で、SMIC(スミック)と呼ばれる最低賃金(いわゆる初任給でしょうか)が額面で7100フラン位。(1 euro=6,55957 franc) 経験や業種によって、8000フランから10000フラン。現在のSMICは週35時間労働で額面、1445,38ユーロです。
とにかく、全ての契約事項が契約書に書かれ、そこに実際に署名をして、契約が成立します。契約書は2、3ページに渡ることもあります。
企業によっては、13ヶ月目分の給料支払いや、年末のボーナス(利益があった時など)、レストランチケット(社食がない場合が多いので、食費手当に値するもの)などが支給されますが、これも会社によってまちまちです。週35時間労働になっても、職種によっては39時間のままの場合もあるので、その時は、夏の2ヶ月を除いて毎月2日分のお休みが頂けます。一ヶ月に付き、約2,5日の有休も加算されます。
大きな会社は企業内委員会と言って、日本で言う組合が作れるので、その組合の力が強いと、社員の福利厚生も良く、労働条件がいいものになっています。
1999年から、日仏間でワーキングホリデー協定が交わされたのはいいのですが、所謂使い捨て雇用ともなり、特に日本企業は、約1年毎に若い人員を安く使っては新しくする感じで、VISAを持ち仏語を話す在仏日本人向けの雇用が一時期一気に減ったのも事実です。
最近では、結局仏語や英語が話せないと、たとえ就職出来たとしても、後が続かないので、ワーキングホリデーVISAの人達が働ける環境はそう幅広くはないようですが。
さて、今までは、起業するのにも色々と資金や法律が厳しく定まっていて、企業側が払う税金や負担金なども高く、起業できたとしても、続けて行くのはなかなか大変だったようです。
それが、最近になり緩和され、Auto-entrepreneur(自主起業家?)という法律が出来た御陰で、ある一定の利益を越えなければ、自分だけが従業員でそして代表、という会社設立が可能になりました。
多くの日本人の方はこの制度を利用して、お料理教室やお花教室、コスメ、ネイル関係のサービス、翻訳•通訳など、在仏日本人やその他パリにいらっしゃる日本人の方々に向けて活動していらっしゃるようです。
仏人男性は、女性にもキャリアや経済的な独立を求め、結婚しても財布が別なことが多いと言う事もあり(その分家事や育児を手伝う方は多いようですが)、一度職を見つけると出産しても働き続ける日本人女性が増えてきました。確かに、出産•育児休暇制度もしっかりしてる事、復帰後に子供を預けて働く環境も整っていること、で働き続けやすくなっているのは確かです。
ここで、当時ネットがない環境の中、就職活動で良く使っていた、日本語情報誌のサイトをご参考までに添付します。
http://www.ovninavi.com/accueil
http://newsdigest.fr/newsfr/index.php
学生時代の就業は雇用があって契約書が交わせたとしても、労働局に労働許可申請をしなければならず、そして誰でも許可が下りるとも限らず、現在の学生は学生VISAを取っていれば、すぐに週20時間の就業が可能だと聞き、時代は変わったなあとしみじみ思っている所です。
さて、ご縁あってフランスに来たからには、色々な仕事をしてみたい!というのもあり、一度だけの派遣契約も含めれば10件以上もの日仏企業と様々な契約を交わすことが出来、現在に至っております。当時は仏語が話せれば雇用はあり、より良い環境を求めて仕事を変えて行く方も多くいらっしゃいました。雇用形態としては、大きく二つに別れ、CDD(期限付き契約)CDI(期限なし契約)があり、そこでフルタイムなのか、パートタイムなのかもはっきりと契約書に記入されます。
(参考までに。左側がCDDの契約書で、右側が期限なしCDIの労働契約書の例)
業種によって、Convention collectiveという労働基準法があり、それに基づいて契約書が作られ、労働者と契約が交わされます。
働き始めた当時は、まだ週39時間労働で、SMIC(スミック)と呼ばれる最低賃金(いわゆる初任給でしょうか)が額面で7100フラン位。(1 euro=6,55957 franc) 経験や業種によって、8000フランから10000フラン。現在のSMICは週35時間労働で額面、1445,38ユーロです。
とにかく、全ての契約事項が契約書に書かれ、そこに実際に署名をして、契約が成立します。契約書は2、3ページに渡ることもあります。
企業によっては、13ヶ月目分の給料支払いや、年末のボーナス(利益があった時など)、レストランチケット(社食がない場合が多いので、食費手当に値するもの)などが支給されますが、これも会社によってまちまちです。週35時間労働になっても、職種によっては39時間のままの場合もあるので、その時は、夏の2ヶ月を除いて毎月2日分のお休みが頂けます。一ヶ月に付き、約2,5日の有休も加算されます。
大きな会社は企業内委員会と言って、日本で言う組合が作れるので、その組合の力が強いと、社員の福利厚生も良く、労働条件がいいものになっています。
1999年から、日仏間でワーキングホリデー協定が交わされたのはいいのですが、所謂使い捨て雇用ともなり、特に日本企業は、約1年毎に若い人員を安く使っては新しくする感じで、VISAを持ち仏語を話す在仏日本人向けの雇用が一時期一気に減ったのも事実です。
最近では、結局仏語や英語が話せないと、たとえ就職出来たとしても、後が続かないので、ワーキングホリデーVISAの人達が働ける環境はそう幅広くはないようですが。
さて、今までは、起業するのにも色々と資金や法律が厳しく定まっていて、企業側が払う税金や負担金なども高く、起業できたとしても、続けて行くのはなかなか大変だったようです。
それが、最近になり緩和され、Auto-entrepreneur(自主起業家?)という法律が出来た御陰で、ある一定の利益を越えなければ、自分だけが従業員でそして代表、という会社設立が可能になりました。
多くの日本人の方はこの制度を利用して、お料理教室やお花教室、コスメ、ネイル関係のサービス、翻訳•通訳など、在仏日本人やその他パリにいらっしゃる日本人の方々に向けて活動していらっしゃるようです。
仏人男性は、女性にもキャリアや経済的な独立を求め、結婚しても財布が別なことが多いと言う事もあり(その分家事や育児を手伝う方は多いようですが)、一度職を見つけると出産しても働き続ける日本人女性が増えてきました。確かに、出産•育児休暇制度もしっかりしてる事、復帰後に子供を預けて働く環境も整っていること、で働き続けやすくなっているのは確かです。
ここで、当時ネットがない環境の中、就職活動で良く使っていた、日本語情報誌のサイトをご参考までに添付します。
http://www.ovninavi.com/accueil
http://newsdigest.fr/newsfr/index.php
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